名古屋高等裁判所 昭和28年(ネ)412号 判決
(ロ) 次女洋子は姉が右のように婚嫁したのでどうしても所謂壻を迎えねばならぬことになり県下海部郡のさる医師の二男で名古屋市の貿易商社へ勤務している者と婚約成立し昭和二十九年三月十四日結納の取交わしを済ませたし遠からず遅くとも今秋(昭和二十九年)挙式することになつている。これは名実共に壻養子であつて控訴人の家へ迎え夫は勤務先へ通うことになるのである、
二、居室の使用状態について、
控訴人側の使用する室の内居室として使用し得る畳の敷いてある室は「離れ」の六畳二室と本家二階八畳の三室のみである。そこで現在(昭和二十九年)控訴人家の常住員数は近く次女の壻として入家すべき者を除き控訴人と妻、次女の三名であるところ現在の起臥状況は本家二階八畳に控訴人と次女洋子が、又「離れ」六畳二室の内一室は妻、一室は滞留中につき長女美知子と其の出産児が夫々使用している、そして長女美知子の夫が週に二日来泊するので其の際は控訴人の妻も本家二階八畳に寝ることになる、そして次女の壻が遠からず入家すれば其の夫婦で「離れ」なり本家二階なりいづれかに居住することになる、
三、昭和二十八年四月一日以降の家賃相当の損害の請求について、
昭和二十八年四月一日及昭和二十九年四月一日に夫々家賃算定の基準である固定資産評価額に変更があつたから改正評価額により算定した家賃相当の損害金として請求の趣旨の如き金員の支払を求める、其の算定方式は
(イ) 昭和二十八年四月一日より改定
A、地代、土地評価額金十四万千百六十八円に千分の三を乗じたる金四百二十三円五十銭、
B、純家賃、家屋評価額七十一万三千六百円に千分の三、七を乗じたる金二千六百四十円三十二銭、
金二十四円に延建坪六三、五坪を乗じたる金千五百二十四円、
右合計四千五百八十七円(円未満切捨)を控訴人と被控訴人の夫々使用部分の比による配分を為し被控訴人の負担すべき賃料額は(全体の六三、五坪に対する四〇、八坪)二千九百四十七円となる、
(ロ) 昭和二十九年四月一日より改定
A、地代、土地評価額金二十一万二千二百三十七円に千分の三を乗じたる金六百三十六円七十一銭、
B、純家賃、家屋評価額金七十四万四千六百円に千分の三、七を乗じたる金二千七百五十五円二銭
金二十四円に延建坪六三、五坪を乗じたる金千五百二十四円
右合計四千九百十五円の内被控訴人の負担すべき賃料額(全体の六三、五坪に対する四〇、八坪)は三千百五十七円となる、
四、請求の原因の追加、
被控訴人は賃貸人たる控訴人の承諾を得ずして賃借物の一部を転貸し第三者をして其の使用を為さしめていたことがあり又現に為さしめているのであるから民法第六百十二条に基き本訴において控訴人は被控訴人との賃貸借契約を解除する、
其の具体的事実は被控訴人は
(イ) 現に転貸している事実として本家階下洋室四畳半一室を訴外本多敦子に有償で転貸している、
(ロ) 過去に属する事実として(1) 昭和二十年三月頃から昭和二十三年七月頃迄訴外井村薫に「離れ」を有償で転貸した、
(2) 本家二階を女子学生に転貸した、
控訴人は右転貸行為のいづれについても承諾若くは黙諾を与えたことはない、
被控訴人の陳述、
一、被控訴人の家族異動について、
(イ) 被控訴人の長男(中部日本新聞東京総局記者)は昭和二十九年四月正式に婚約を整え挙式の準備中である、然し既に本社幹部から近き将来の本社(名古屋市所在)勤務を諮詢されているので結婚を機会に本社に転勤し被控訴人と同居することを考慮中である、特に東京の極端な住宅難と最近被控訴人の妻が胃癌の疑があると医師に告げられたことにより長男の本社転勤、被控訴人との同居の必要性は急増している、これが実現すると新夫婦二名が被控訴人の同居家族に増員するわけである、尚現在(昭和二十九年)においても長男がほゞ毎月一回被控訴人宅に数日間帰省宿泊している事実は控訴人はじめ近隣の熟知するところである、
(ロ) 被控訴人の長女は既に大和証券本社員(東京勤務)に嫁し一児をもうけているが其の主人が同社名古屋支店に転勤する話が持上り考慮中である、これが実現すれば被控訴人の同居家族三名増員するわけである、特に被控訴人の妻の今後の保養の為め長男が名古屋市に転勤しない場合は長女一家が転勤して被控訴人と同居することは長女の確い心組であり被控訴人夫婦の望むところである、尚現在においても正月と夏期に少くとも年二回各約一ケ月間長女が其の子供と共に帰郷しているのが事実である、長女の出産時約四ケ月間も被控訴人と同居した、
二、家屋明渡請求の控訴人及被控訴人の各家族の異動との関係について、
控訴人の家族の異動が控訴人主張通りであるとしても長女の出産時滞留は一時的であるし次女の所謂壻取りも新民法によれば等しく結婚によつて新しい家を創設するのであつて特に控訴人夫婦が健康である限り同居しなければならないという理由はないと思う、然し被控訴人は控訴人の家族構成の当否にまで言及する気持は毛頭ない、それは全く控訴人の個人的な事だからである、被控訴人がここで強調したいのは、この控訴人の全く個人的な事情が被控訴人の同様な事情と比較することもなく直に家屋明渡請求に結びつくものではないということである、被控訴人が其の居住権を主張する基礎は(1) 正当な家屋の賃貸借契約を結び之を正確に実行してきていること、(2) 家主を同居させることはやがて家主から家屋明渡の不当な迫害を受けるという予想があつたのにも拘らず家主たる控訴人の旧住所における困苦に同情した被控訴人が誠意を以て家主の同居を迎えたこと、(3) 現在控訴人と被控訴人との同居の状況は公平であること、(4) 被控訴人が家屋を戦災から身を以て守るなど無形の愛着の著しいこと等である、これに対し控訴人が其の子女の結婚が所謂持合世帯と「名実共に壻養子」であるというだけで家屋明渡請求に結びつけるのは理由のないことである、
三、本多敦子は昭和二十六年四月から同居させていることは之を認める、最初寝泊りだけに使用させ謝礼金として月額五百円を受取つていたが昭和二十八年頃よりガス、電気、水道、風呂、炊事道具等を貸して自炊させているので月額千円の謝礼金を受取り現在に至つている、右本多を同居させるについて控訴人の承諾を得なかつた、被控訴人と本多とは親戚関係はなく、ただ同人を置いてやつてもらい度いと頼みに来た人が被控訴人と親戚同様に親しい人である、
<立証省略>
三、理 由
昭和十九年十月十一日控訴人は其の所有にかゝる別紙第一号目録記載の二階建居宅(以下本家と略称す)及第二号目録記載の平屋建居宅(以下離家と略称す)を期間の定なく被控訴人に賃貸したことは当事者間争がない、
一、そこで昭和二十年十一月下旬控訴人が被控訴人に対して為じた解約申入の効果について考察するに成立に争なき乙第一号証、原審証人井村薫(第一、二回)、後藤静子、鈴木綾吉、当審証人永井国政の各証言、原審における控訴本人及被控訴本人訊問の結果を綜合すれば控訴人は昭和五、六年頃前記家屋を建築して之に居住していたが昭和十二年頃健康の勝れなかつた其の次女の療養の為め愛知県知多郡日長に借家して家族一同を伴つて同所に転住していたところ終戦後控訴人は右日長の借家の家主から自ら使用する必要上明渡を求められたので名古屋市の本件家屋に帰住する目的で昭和二十一年十月下旬被控訴人に対し前記家屋の賃貸借の解約を申入れ之を明渡すべきことを請求した事実、被控訴人はにわかに之に応ぜず一方日長の控訴人の家主は控訴人の明渡を待ちきれないで昭和二十二年四月頃荷物を持込み子供二人を伴つて控訴人方に住込んで来たので控訴人も愈々本件家屋に引移るべき緊急の必要に迫られ被控訴人と種々の交渉の結果昭和二十三年八月二日控訴人は前記離家及本家二階八畳一室四畳半一室を被控訴人から返還を受け控訴人は別紙第一号目録記載物置三坪の内北半分を被控訴人に使用させることの話合が出来て控訴人は右返還部分の明渡を受けて之に居住するに至つた事実、右入住の際当事者の合意により家賃は双方の使用畳数に比例して決定することにし爾後被控訴人は右協定による家賃を支払つていた事実を夫々認定することができる、控訴人は明渡を受けなかつた部分については前記解約申入後六箇月の経過により賃貸借は終了していると主張するのであるが前記の如く控訴人の明渡請求に対し双方交渉の結果一部明渡の合意が成立して被控訴人が之に入住したのであり且一部明渡後の賃料も双方の合意によつて定めたのであるから右解約の申入も亦此の時合意上撤回されたものと認められるのである、従つて控訴人が右解約申入により全部の賃貸借が終了したと主張して残存部分の明渡を請求するのは理由がない、
二、次に控訴人は昭和二十三年九月頃明渡未了部分について当事者間に賃貸借の合意解除が成立したと主張するけれども此の点に関する原審における証人後藤静子の証言及控訴本人訊問の結果はにわかに措信し難く其の他之を認むべき証拠がないから右合意解除を理由とする控訴人の請求は理由がない、
三、次に無断転貸を理由とする賃貸借の解除による明渡請求の当否について考察するに原審証人井村薫(第一回)の証言によれば井村薫は昭和二十年三月頃から昭和二十三年七月頃迄前記離家を被控訴人から賃借していた事実、及昭和二十三年八月当時控訴人の入住直前被控訴人は本家二階に女学生二人を居住せしめていて控訴人も以上の転貸を知つていた事実が認められるが前記の如く控訴人は被控訴人から昭和二十三年八月二日前記離家と本家二階二室の明渡を受けて之に入住し且賃料は爾後被控訴人の使用畳数に比例して定めることとし控訴人は之を受領していたのであるから控訴人は右入住当時右無断転貸を理由とする解除権を放棄したものと認められる、更に被控訴人が本多敦子に本家階下洋室四畳半を昭和二十六年四月以降控訴人の承諾を得ないで転貸していることは被控訴人の認めるところであるから此の無断転貸を理由として控訴人は本件賃貸借契約を解除し得るや否やについて考えて見る、後記四に説明するように控訴人は昭和二十四年十一月十一日被控訴人に対し本家の残存部分の明渡を請求して居り且原審における当事者双方本人訊問の結果によりて認め得るが如く控訴人は昭和二十五年二月昭和簡易裁判所に被控訴人を相手方として家屋明渡の調停申立をしたがそれが不調に終り家屋の明渡が当事者間で争はれている当時被控訴人が仮令家屋の一少部分であるにせよ又乙第一号証「家主は濫に借家人に対し借家明渡を請求せざること」「此後は家主は如何なる事情にても借家人の住居に付之以上言及を致しません」という文言のある証書に控訴人が署名捺印していたにせよ離家に住んでいる家主を前にして本家の一部を家主の承諾を得ないで転貸する行為は明渡の障碍を事実上増加するもので著しく賃借人として誠実義務を缺く背信行為と謂うべきであつて、此の点については被控訴人を弁護することが困難である、然し飜つて前記の証拠其の他弁論の全趣旨を綜合すれば本多敦子は女子医科大学の学生であつて卒業する迄の短期間のことであるし控訴人も本家の明渡を受ければ右女子大学生には其の卒業に至る迄は居住させておいてもよいというような考えから敢て之を咎めだてず寧ろ宥恕して本訴提起の昭和二十七年四月当時右無断転貸を理由とする解除権を放棄したものと認めるのを相当とする、以上の次第であるから無断転貸を理由とする契約解除は理由がない、
四、次に成立に争なき甲第一号証によれば控訴人は昭和二十四年十一月十一日被控訴人に対し自家使用の理由を以て本家の残存部分について賃貸借契約解約の申入を為した事実を認め得る、そこで其の正当の理由の有無を考えるに原審における証人後藤静子の証言、当事者双方本人訊問の結果によれば右解約申入当時控訴人方は控訴人夫婦と女子二人の四人暮しであり被控訴人は無職で被控訴人夫婦及小学校在学中の男子一人の都合三人暮しであつたことが認められる、そして以上説明したように控訴人の解約申入は自ら使用する必要に出でゝいることは明かであるから被控訴人をして本家を明渡させても被控訴人の経済生活を破壊に導くようなことがない限り右解約の申入は正当な理由を具えるものと謂はなければならない、そして今日尚貸家を求めることは容易でなく又被控訴人が直に自己の家屋を新築し得る程の資力を有するものとも認め難いから被控訴人の移転先に何等の保障を与えることなしに本家を明渡させることは被控訴人の経済的打撃の著しいものがあり右無条件の明渡を求めるのは正当ではなく従つて控訴人の第一次の請求は認容し難い、然し第二次に請求する如く離家等を賃貸することを条件として本家の明渡を求めるのは(昭和二十四年十一月十一日の解約申入は甲第一号証によれば控訴人は当時離家等を被控訴人に提供することを申出でている)正当な事情として大いに考慮をしなければならぬことである、蓋し当審検証の結果によれば離家は六畳二間であつて玄関、床間、押入を具え建築も相当なもので居住が快適でないということは到底認められず且被控訴人方は前記の如く解約申入当時夫婦と少年の子の三人暮しであるから狭過ぎるということもなく、被控訴人は無職であるから本家の方に居住しなければ経済的に生活が維持できないという事情も更にない、されば控訴人が右離家及其の南側に控訴人が設置した炊事場並別紙第二目録記載の物置三坪を被控訴人に居住の為めに提供し且本家階下東北隅の便所を被控訴人が使用することを許し本家東南隅の湯殿と本家東側土間の外の井戸を被控訴人と共用することを許すならば被控訴人をして本家を明渡させても少しも被控訴人の生活をおびやかすものではない、甲第一号証によれば昭和二十四年十一月十一日に為した控訴人の解約の申入は以上認定にかゝる其の前後の事情に照らして控訴人は被控訴人に対して前記の程度の提供を為しているものと認め得る、従つて右解約の申入は正当な事由を具え本家の内被控訴人が使用している部分の賃貸借契約は前記解約の申入後六月を経過した昭和二十五年五月中旬終了したものと謂はなければならない、故に右の提供をなほ維持して之を条件とする控訴人の明渡請求は認容しなければならぬ、乙第一号証には前記の如く家主は濫に借家人に対し借家明渡を請求しないことが記載されているが右は正当な理由による明渡請求を排斥するものではなく又家主は事情の如何を問はず借家人の住居につき之以上言及しない旨が記載されているが右も亦以上に説明したような正当な事由に基く解約の告知権を排斥し得る程の法律上の拘束力ありとは認め難い、
五、控訴人の賃料相当の損害金の請求について審理するに成立に争なき甲第二号証によれば昭和十九年十月十一日控訴人が被控訴人に賃貸した本家の賃料は毎月六十五円と約定されていたことを認め得べく右終戦前の賃料と成立に争なき乙第一号証中家賃は使用畳数に比例して決定することの記載、成立に争なき甲第四号証ノ一乃至四による本件第一、二目録記載家屋及其の敷地の固定資産評価額、坪数、原審における証人後藤静子の証言、当事者双方本人訊問の結果、検証の結果並昭和二十六年十一月三十日物価庁告示第百九十二号昭和二十七年十二月四日建設省告示第一四一八号地代家賃統制額改訂の件によれば昭和二十七年五月十九日(記録上明かな訴状送達の翌日)以降別紙第一号目録記載の二階建居宅中明渡を求むる部分の賃料は控訴人主張通りの金額が相当であることが認められる、従つて控訴人が前記解約申入の効果の発生した後の賃料相当の損害金の支払を求めるのは正当である、
尚控訴人が被控訴人に賃貸の為め提供する別紙第二目録記載の建物の賃料は前記甲第四号証ノ三、四による昭和二十九年度の土地建物の固定資産評価額及前記建設省告示及建物全部に対する被控訴人の使用する建坪の割合によれば毎月九百二十一円を相当とすることが認められる、又右賃貸に関するその他の条件も主文第二項中に定める如く定めるのが相当である
以上の如く控訴人の第一次の請求は失当であるが第二次の請求及賃料相当の損害金の請求は認容すべき部分があるに拘らず控訴人の請求全部を棄却した原判決は失当であるから之を変更すべく主文の如く判決する、
仍て民事訴訟法第九十六条第九十二条第百九十六条に従い主文の如く判決する、
(裁判官 中島奨 石谷三郎 県宏)